岩手県住田町 2015年 起業 村上 健也
一般社団法人SUMICA代表理事
PROFILE

1968年生まれ。岩手県住田町出身。専門学校を卒業後、東京にてデザイン会社に勤務。住田町にUターン後は、デザイナーの仕事と実家の塗装業を掛け持ちしながら、2010年から「KESEN ROCK FESTIVAL」の実行委員長を務めるなど、住田町のまちづくりにも関わる。東日本大震災後のボランティアで縁のできた仲間たちと、2015年に一般社団法人SUMICAを設立。

 人口5,500人の街・岩手県住田町で、古民家をリノベーションした交流拠点「まちや世田米駅」。町内外から人気を博すこの施設の仕掛け人が、「一般社団法人SUMICA」代表の村上健也さん(50)だ。東京でのデザイナー経験を経て、地元・住田町で起業した村上さんが自認する役割は、「中の人と外の人をつなぐハブになること」だと話す。

 

「外の視点」を知ったからこそ見つけた住田町の魅力

 「この地域には、光るものがいっぱいあると町の人に気づいてほしい」。村上さんは生まれ育った住田町で起業した動機を、そう語る。

 地元の塗装会社の長男として生まれた村上さんは、高校卒業後東京へ出て、デザイナーとして活躍。「東京に出ずに家業を継ぐという選択はなかった」という。10年ほど東京で働いたあと住田町にUターンし、家業を手伝いながらデザイナーとしても東京からの仕事を続けていた。

 東京から戻ってきた村上さんは地元で働く中、気付いたことがあった。一つは、高校卒業後に地元に戻ってこない若者の多さだ。「気仙地区(住田町、陸前高田市、大船渡市)から、毎年高校3年生がいなくなり、1割も帰ってこない」。彼らに理由を聞くと、返ってきた答えは「魅力がないから」だった。

 

「それなら、子どもたちにとって楽しいことをしようと思った」。そんな動機から、村上さんは2009年から毎年、住田町で「KESEN ROCK FESTIVAL」を開くように。町を出ていった人たちにも「自分の町で何かやっているぞ」と気づいてもらうことが、ロックフェスを始めた動機だという。

外から人が押し寄せ、町の人の意識が変わった

 村上さんが東京から戻って気付いたもう一つのことは、地元・住田町の魅力だった。「地元の魅力はずっと地元にいると気づかない」。デザイナーとして東京で「外の視点」を獲得したあと、震災で外の人が多く入ってきて住田町の魅力を評価し、誇りをもてるようになったと村上さんは言う。「外からの視点で地元を見直したら『行ける』と思った

 町の魅力に気付くための「外の視点」を町の人自身にも持ってもらうため、2015年にSUMICAを設立。外部の講師を招いたイベントを行う中、村上さんが出会ったのが、かつて養蚕で栄えた商家の「旧菅野家住宅」だった。そもそも空き家になった旧菅野家住宅に住みたいと思っていた村上さん。役場が購入し活用方法を検討していると聞き、役場に活用案を提案する。それは、「木」「音楽」「食文化」を軸に、高齢者、若い人、地域の人、外の人全ての中心(ハブ)になれる交流施設の構想だった。

 

 提案後、旧菅野家住宅の活用は、市民参加のプロジェクトとなり、村上さんの提案をベースに役場や有識者、地元の住民らの意見が集約された。2016年4月、町営「まちや世田米駅」としてオープンし、SUMICAが運営。レストランの他に、公民館機能を備えたカフェや、土蔵を活用したギャラリーがあり、オープン以降、町内外から多くの人が訪れる。

 当初は町内の需要を食い合うのではという一部の懸念もあったが、「まちや世田米駅」は新たな客層を発掘し人気を博している。平日は、陸前高田、大船渡、釜石と行った近隣の町から、休日は、盛岡・花巻など遠くの町から人が訪れる施設となっているという。「蔵が好きな人、古い建物が好きなお客さんが来る。レストランに惹きつけられて来る人もいる」と、村上さんは好評の理由を分析する。

 

 町の外から客が訪れるのを目の当たりにして、地元の人たちの意識も変わってきているという。「こんなに外から人が来るってなんだろうと、地元の人も足を運んでくれるようになりましたね」。実際、目の前の通りは、以前はほとんど誰も歩いていなかったのが、人通りができるようになったという。

 地方で目立つ活動をすると、さまざまな衝突もあったと言うが、「出る杭って地方では悪く見られがちで、地元の人たちは混ざってくれないんですけど、でも出過ぎると、離れていった人が近づいて来てくれる感じがするんです。だから出すぎちゃっていいと思いますね」と手応えを口にする。当初は遠巻きに見ていた地元の人々も、遠方から観光客が押し寄せる姿を見て、徐々に徐々に積極的に協力してくれるようになった。

「外から来た人と地元の人々を結びつけるのが自分の役割」

 SUMICAの理事5人は、村上さんも含め3人がUターンで2人がIターンだ。他にも、Iターンのスタッフやインターンシップの学生など、村上さんの周りには常に町の外から人が集まる。「何をするにしても、中の人だけだと出過ぎることはないと思うんですよ。無難にまとめちゃう」。その点、「Iターンの視点は鋭い」

でも、「それだけじゃできない」。そうした外の視点を集約しながら、それを地域の中に浸透させていくのは、「地域に根ざそうと思わなくても元々根ざしたものがある」という村上さんの役割だ。「地元の人とぶつかる時は、自分が出ていかないと。Iターンの人だけじゃだめなんですよね。怒られて帰ってくるだけで、話し合いにならないんです」。Iターンやインターンシップなど外から来た人と、中の人との橋渡しをするのが村上さんだ。

 

 取材時、まちや世田米駅には学校帰りにたむろする小学生の姿があった。今、この施設は交流や創造の場として利用する地元の人が絶えず訪れ、住田町の内と外をつなぐ結節点となっている。「高齢者、若い人、地域の人、外の人、全ての中心になれるようにしたいというのが、元々のコンセプト。今、思い描いていたところに近づいています」

 

PROFILE

1968年生まれ。生まれ育った岩手県住田町から東京へ出て、専門学校を卒業後デザイン会社に勤務。リゾート開発・テーマパーク計画など、ランドスケープデザインに関わる。10年ほど東京で仕事をした後、住田町にUターン。デザイナーの仕事と実家の塗装業を掛け持ちしながら、2010年から「KESEN ROCK FESTIVAL」の実行委員長を務めるなど、住田町のまちづくりにも関わる。東日本大震災後のボランティアで縁のできた仲間たちと、2015年に一般社団法人SUMICAを設立。「すみたをツナグ」をテーマに、地域の交流拠点「まちや世田米駅」の運営や、イベントの実施など、住田町の盛り上げに繋がる事業を実施している。

 

INTERVIEW他のインタビュー

  • 快適な状態に満足せず、どんどん殻を破っていくことが大事
  • 外からの視点で地元を見直したら『行ける』と思った
  • ITで地元の地域課題を
    解決することが自分の使命
  • 地域に迎合するのではなく
    オリジナリティを保つ
  • 地方ではいざという時に頼れる人の数が違う。
  • 鶴岡に来たことが
    一番正しい経営判断だった

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